陰謀論
p14 陰謀論者には、「政治的(本当に信じている)」人と、「経済的(信じてはいないが注目とお金を稼げるからやっている)」人がいて、それは分離して考えなければいけない。一見後者の方がやっかいだが、後者はそれを信じる人がいなくなれば発展しなくなる。また本人自体は距離をおいている場合も負い。前者はその信条が社会的・人間的問題と結びついているので申告で解決が難しい(本人にとってはそれが真実なので)
現実が、彼らの想定する「あるべき現実」とあまりに乖離していることへの不満があり、陰謀論はその乖離を埋めるための便利な道具として利用されている
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陰謀論を信じることは不満解消法であるとも言えるだろう
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多くの人の日常生活でも、「こんなに業績があるのに昇進できないのは、上司が何かを企んでいるからに違いない」など、「目に見えない力」に歪められていると考えることで不満の解消をしようとすることは特段珍しいことではない
P25~26
ライト、ついてますかの問題とはそうあるべき状態と今ある状態の差であると近しいが、その乖離を「解決」しようとはせず、乖離に都合の良い”理由”を当てはめて(他責的に)「解消」しようとしてしまう。
その「あるべき現実」を他人が認めてくれないと、より思考が深まり、多くの人は「真実」をわかっていないと考えてしまう。それと同時に「真実」を知っている自分は自分を評価しない他者よりも優れているという自己評価が進み、さらにその思考を深めていくことになる。
P26
陰謀論は「少数派」のためのもの。少数派は多くの人がしらない「真実」を知っている選ばれしものであることに「誇り」を持っているが、同時に多数派に理解してもらいたいというジレンマを抱えている。また、「少数派」だから陰謀論なのであり、多数派になれば一つの「通説」にしかならない。
地動説と天動説に代表されるように、陰謀論と通説のパラダイムシフトが起きた実例があるので、少数派の陰謀論者は「真実」を多数派に知らしめ主流の通説に塗り替えたい、という願望を現実的に有する。
陰謀論に政治ネタが多い理由
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政治(選挙)がそもそも多数派と少数派を可視化するものであるから
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政治の意思決定が実体として一部の閉鎖的秘匿的に行われるものであるから
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(一般人にアクセスができない、しかし全ての一般人に関係があることだから)
支持者たちは「(変わらず)指示する」という結論が先に来て、その結論にうまく導かれるように失言や問題の構造を理解・解釈しようとする p34
何かの結論が先にあって、その結論が崩れないように、整合的に解釈しようとする認知バイアス→動機づけられた推論
陰謀論者は、その対象にもともと興味関心が深い人が多い(そうでなければ別に気にもしないので)。
その信条に動機づけられて都合の良い理屈に「能動的に」接触しにいく。
これは陰謀論に限った話ではなく、何かの興味や不安がある人は、その情報に積極的に接触し、自分にとって(都合の)良い情報を取りいれる。これは誰にでも当てはまる。
ここから5章までは目が滑ってしまった
具体的な内容なので、最悪読み飛ばしても良さそうではあるが...
終章「民主主義は陰謀論に耐えられるのか」
陰謀論に引っかかりやすい人などは存在せず、あらゆる人がいつ陰謀論に引っかかってもおかしくない
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誰が陰謀論を信じるのか→誰しもが
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なぜ陰謀論を信じるのか→自分の信条(正しさ)を支えてくれるから
「自分の信条(正しさ)を支えてくれるから信じる」というメカニズム
これは対象(政治)に詳しいと自己認識している(実際に詳しい)人も(いや、むしろそっちのほうが)陥いる危険性がある
じゃあどうするのか→
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「政治や社会の出来事に一切関心を持たずに、ひたすら日常生活を楽しもう!!」
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それだと政治が野放しになるので、ありきたりだが「バランス感覚を持つ」というしかない。
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政治に「そこそこ」の関心や知識を持ち、「そこそこ」の気持ちで支持政党を応援する。
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「自分の考えと同じ事を言っている」話を聞いたら要注意だと意識する
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たまたま耳に入ったのではなく、自ら接触しに行っている可能性もある
「政治家」「政党」への向き合い方
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最も公的な立場ではあるのだが、「再選欲求(次の選挙でも当選することが最優先課題)」であることは間違いない
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つまり、常に陰謀論を発信するインセンティブを持っている
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地方選挙では極めて少ない票数でも当選可能
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極端な主張を受け入れる一部の支持者によって当選確率を高めてしまう
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一度当選すれば陰謀論的主張も「市民の代表」として扱われる
「陰謀論」とラベリングすることにも注意が必要
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自分と対立する意見に対して、政党な批判かを吟味せず「陰謀論だ」と封殺しないように
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「陰謀論だ」と決めつければ容易に「論破」したような錯覚に陥いる事ができる
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異なる主張に対して、「そういう意見もあるのね」と一定の距離を持ってみることが重要
マスメディア
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陰謀論を見極めるためには、どうしても公式的な情報への信頼感は不可欠
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マスメディア(オールドメディア)の伝える情報を鵜呑みにするなというメディアリテラシーは極めて重要ではある
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しかし、マスメディアは「真実を伝えていない」と断じてSNS上の謎の先鋭化した情報を信じるのは極めて危険
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鶏と卵だが、マスメディアの信頼を高めるためにはマスメディアを一定信頼しないといけない
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基本的にはマスメディアが伝える情報を「とりあえず」信じておく方がリスクが低い
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大手マスメディアが陰謀論を振りまくのであれば
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第三者機関の詳しい調査が入る
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競合他社が強く問題視する
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そのメディアの情報を見聞きする読者が少なくなる
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もちろん既存メディアのあり方に問題がないわけではない(所謂マスゴミ)
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記者クラブ、信頼に欠ける「有識者」、ビュー稼ぎなど
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しかし、我々はマスメディアの情報なしに政治や社会の現状を知ることはできない
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絶対に嘘はつかない、とはいえないが、我々が知りうる情報源の中では正確性が高いことも事実である
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だからこそ、マスメディアはより真摯に情報発信をしなければいけない
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信頼性を自ら既存するようなマスメディアの動きが、結果的に陰謀論の万栄に加担している
→ 性悪説はコストがかかる
自分だけの「正しさ」を求めすぎない
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好奇心によって社会・文明・人自体は進化してきている
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そして、好奇心を持つ限り、陰謀論が無くなることがない
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「なぜこの現象が起きたのか」を追求したいという欲求は根源的なものである
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情報過多な現代社会は複雑でわかりにくくなっている
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その中で合って、様々な価値観がひしめき合い、それぞれの「正しさ(正義)」を競い合っている
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その自らの「正しさ」に固執すれば、陰謀論が漬け込む余地がうまれる
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「多数派に見えていない「真実」に気づくべきだ」
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自分の中では「正しい」ことでも、丁寧に論拠を積み上げ話し合う努力をせず、過度に正しさを強調すれば、結果的に反動をうむことは言うまでもない
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何事にもほどほどに向き合い、自分の中の正しさを過剰に求めすぎない姿勢が今の社会に求められている
この著者自身が大学自体「ネトウヨ」だったとのこと
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「普通の日本人」がもつ「愛国心」に突き動かされて政治学を始め、大学院に進学後の政治学を学ぶ過程で客観的に自分を見ることになる
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なので、筆者は陰謀論を信じる人を「他人事」とは考えていない