タグはフロントマターにもリンクにも劣るのではないか?
🧾2025-01-30 タグとリンクの使い分けを再考するで、タグはステータスや印付け、リンクタグをキーワードとして使用することに決まった。
しかし、タイトルの通り「タグはフロントマターにもリンクにも劣るのではないか?」と思い立った。
フロントマターはkey-valueであり、「設定対象」と「設定値」が1-1で存在する。
それに対してタグは基本的にはvalue単体である。
しかし、タグを印(属性)付けに使うのであれば、「A属性にA1値を設定」のような使い方をすることになる。
「#todo
と#doing
は同じstatus群
」というように暗黙の設定対象群をつくるのか、、#status-todo
や#status/todo
のように曖昧なkey-valueの構造を作るのかは自由だが、それであればフロントマターのほうがネイティブに実現ができる。
例)status: todo
、category: blog
、created: 2025-02-01
また、(Obsidianにおいて)ノートの関係性を作りたいのであればタグよりリンクのほうが上位互換である。
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タグは実体を持てずリンクは実体を持つ
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タグは(組み込みで)自動リネームができないが、リンクはできる
これを解消するために
リンクタグという概念が生まれた。
見た目だけタグで、動作はリンクとして振る舞う。集計側からはノートのキーワードとして検索のトリガーとなる。
であるならばタグの存在意義とは何なのだろうか?
ノートの属性付ではフロントマター劣り、関係性作りではリンクに劣る。
もはや使わないほうが良いのではないか?